「美濃流しにわか」の特色と現状

1、毎年の新作

歌舞伎を母体として出発した「にわか」ではあるが、歌舞伎の種には限界があり、歌舞伎以外に題材を求めるようになったのは明治以降であろう。「大阪仁輪加」のように同じ題材を繰り返し演じるのは、「にわか」に磨きがかかり、高度な発展をとげた「にわか」が完成する。しかし、歌舞伎も江戸時代ほどの隆盛ではなくなり、題材がマンネリ化するので、歌舞伎以外の新作がもてはやされるようになる。しかし、歌舞伎種の「にわか」が相変わらず多かった。美濃町に小倉座が建ったのは明治35年であり、明治時代を通じて歌舞伎を楽しむのが庶民の娯楽の主たるものであった。大正の頃でも「美濃にわか」の半分近くは歌舞伎のもので、歌舞伎の魅力は長く続いた。「にわか」を毎年新しく作るという慣わしは、明治時代から始まったようだ。「歌舞伎にわか」に行き詰まり、社会事象を取り上げることによって「にわか」を作ることは自由とゆとりが生まれる。「にわか」の歌舞伎離れが、毎年の新作という慣習を作りだしたものだろう。毎年の新しい「にわか」作りが作者の意欲をそそり、役者のやる気づくりにも大きく貢献した点も無視できない。

 

社会風刺と「にわか」

「にわか」の対象として取り上げられるのは、大衆の興味と関心を引くような全国的な社会事象や郷土関係の事象である。場合により、政治批判的なものや社会風刺的なものもある。批判精神を前面に押し出すことよりも、面白い「にわか」であることを優先させている。例えば、選挙を取り上げても、まともな政策論争にならない他愛もない政策を笑いの材料に仕上げるとか、漫画的に揶揄することになる。「にわか」は、本来、庶民がお上に対する不満のはけ口であったという見解もあるが、美濃の場合は、社会事象を笑いにして楽しむという伝統があったようだ。

 

話芸

美濃「にわか」の中で、「づくしもの」という「にわか」があり、大衆から大きな評価を受けている。これは「せりふ」をすべて駄洒落で構成するもので、「鳥づくし」「魚づくし」「地名づくし」など様々である。「にわか」づくりの構成が難しく、せりふの全てに細心の工夫が必要であり、演ずる者にとっては、アドリブがきかないので大変な努力がいる。せりふの言い方にも独特の言い回しが必要になる。「にわか」の中でも「づくしもの」が評価されるのは「にわか」における「せりふ」のやりとりを一番大切にしてきたことを示している。扮装やしぐさが「にわか」の面白さを作るのは勿論のこと、「にわか」の生命は、「せりふ」であり、落語、漫才とともに話芸でもある。

 

扮装

即興劇ということから扮装は、凝らないのが原則である。大正の頃、女を演ずるのに鳥打帽の上に手ぬぐいで姉さん被りにするのが多かった。坊さんといえば羽織を斜めに纏って袈裟の形にするなど、簡素なものが喜ばれていた。乞食ならズボンを裏返しにはくなど、本物ではなく、それらしくというのが基本的な考え方であった。現在では、女性といえばすぐれた髪型が使われ女性そっくりに造れるが、「にわか」の扮装としてはもう一工夫あった方がよい。顔のつくりも、過度にならないようにして、演者の表情を生かす工夫が欲しいものである。「博多仁輪加」は、演者が誰か判らぬようにする工夫がされている、かつらや衣装も個性的でなく似たようなものになる一方、扮装を簡素にして「せりふ」の面白さを強調しており、話芸としての「にわか」を前面に押し出している。「美濃にわか」では、演者の表情も大切にし、扮装の面白さも無視できないとされている。高知の「佐喜浜仁輪加」では、扮装に工夫を凝らし、扮装で笑いを狙う特色がある。

    

落(おとし)

美濃「にわか」では落を「おとし」という。「おとし」の出来次第で「にわか」の評価が左右される。「おとし」にはいくつもの種類があるが、多くは駄洒落おちである。菓子屋のことなら「よい案(餡)が作れる」、冬の北陸のことなら「行き(雪)が心配や」という例のように、「○○のことなら○○やわな」というのが一般的な形である。駄洒落おちの他に「ことわりおち」がある。ミスは花みこしになったのは、「かつぎ出されたわな」、「にわか雨のことなら「やらずの雨になったわな」というように、にわかの中身に関連して「おとし」になる。「物おとし」という「おとし」がある。高知のにわかで「かつお」や「カレンダー」を観客に見せながら「落」とするものなど、まさに「物おとし」である。美濃にわかでは、「物おとし」は、やらないという不文律であるが、「にわか」によってはその判断の困難なものがある。あきらかに物を提示して「おとし」とするのは避けることになっている。

 

登場人物

二、三名から、四、五名まで多い。「やあやあ、そこへ行きんさるのは、熊さんやないかな。」「そういうおまはんは、虎さんやないかな。」というはじめの出だしがよく使われる。これは狂言の名乗りにも似た演出である。登場人物が誰かよく判るように胸に市長とか駅長とか大きな名札をつけることもあるが、それは味がないとされており、「せりふ」や扮装で表現することが好ましいという。登場人物を途中から出したり消したりするのはしない方がよいともいわれるが、「にわか」にはきびしい法則はない。「にわか」で十数人のコーラス隊を出した「にわか」もあり、趣向として認められる。子供を出したものは、大人が子供になってやるのが「にわか」だと否定的な見方が多い。女性を加えるのも認められていない。これは、「にわか」が江戸時代の若衆組の伝統を継ぐ行事であり、男の行事という伝統が守られている。

         

にわかの作者と演出

昔は町内に「にわか作り」を得意とする人が二、三人あり、祭礼前から、その人達に依頼したものである。作者はそのことを誇りとし喜んで作った。「おとし」が得意な人、着眼点の奇抜さ、筋立ての面白さ、それぞれ特色のある「にわか」が作られた。題材の面白さが他町内に漏れないように、祭礼直前まで「にわか」を教えない作者もあった。現在は「にわかづくり」に特定の人以外の、「にわか連中」の中で「にわか」を作る人が出てきた。これは好ましいことで、皆(集団)で話し合って作ることがあるようだ。「にわか」の演出も作者が細かく指導する場合と、台本を渡して演出は集団で考える場合がある。「にわか」という集団活動の中で、脚本作りから演出、演技まで高度の芸能活動が含まれる「にわか」の価値は真に大きいものがある。

 

ことば

「にわか」は原則として美濃町弁を使うことになっている。しかし、言葉は変わっていくものであり、美濃街弁といっても年寄りの使う言葉と、若い者の言葉では違う。だから、美濃町弁といっても適当に特色のある言葉を使うことになる。現在も生きて使われている方言に聞きなれた方言を加えて、「にわか」言葉が成り立つ。「おまはんた、どこへ行きんさる」というせりふは、年寄り達は日常に使うが、若い衆には使用されない。しかし、聞きなれた言葉である。その聞きなれた言葉という線で美濃町弁が「にわかことば」になる。美濃町弁として意識していないが、他地区の人達から見ると、「にわかことば」に、美濃市独特のイントネーションを感じる人が多いようで、それが魅力という人もある。「博多仁輪加」の面白さは、博多弁であるように、「美濃にわか」の面白さの大きな部分を美濃町弁が占めている。「にわか」に美濃町弁を生かすことを大切にしたいものである。

 

「にわか」の口上と「エッキョウ」

「にわか」には必ず口上がつく。これは文楽などに見られる口上に似ている。「東西東西、この場おん目にぶら下げますは「にわか」の標題○○○○、○○○○、相勤めますのは○○○社、先ずは、口上、あとは何やらかんやらむちゃくちゃのはじまり、東西東西。」始めと終りに拍子木を打つ。町内により多少の違いはあるが、これが口上の形である。口上は下手(しもて)が普通で、低い姿勢で述べる。少し斜め前に提灯を置く町内がいくつかある。これは、江戸や明治の昔、辻が薄暗かった頃の名残の形式である。口上の上手下手が「にわか」の評価につながり、上手な口上は「にわか」を引き立てるものとされている。「にわか」が終わると、演者も囃方も一緒に声を揃えて大声で「エッキョウ」という。これの由来は諸説あり、はっきりしていない。恵喬という「にわか」好きの坊さんに関係があるというが、言葉はともかく、「ご無礼しました。」という終りの挨拶と考えるのが妥当であろう。「エッキョウ」と声がかかると「にわか」は終了し、「もどりばやし」という各町共通の囃しで「にわか」は立ち去る。この共通の形で「にわか」が去っていく風情がまた得も言われぬものである。

 

「にわか」と若い衆

「にわか」の仲間に入ることは一人前の成人に成れたことを意味する。最初に大衆の前で「にわか」を演ずることは、昔も今も一種の勇気が必要である。その心の負担を押し切って「にわか」をやることが、美濃町人として一関門を通過したと重視され、一人前の若者として認められた。しかし、昔は若衆の仲間に入ることが義務であったが、現在は若者の自由になっている。進んで祭り集団に入る者もあれば、あくまで拒否する者もある。若者集団は「にわか」のみならず、「花みこし」や「山車渡り」にも大きな責任を持つことになる。町内としては、是非集団に入るよう懇願しているのが現状である。しかも、現在は、高校や大学を出て郷土に残る人数が極めて少ないという問題がある。「にわか」集団として、町内によっては、30過ぎの年配者の協力なくしては成立しない町内もある。4月1日には各町若衆連の寄り合いが持たれる。それから祭礼まで毎夜毎夜の集会がある。もちろん集会は夜であり、各自がそれぞれの仕事、勤務先を持っており、「にわか」集団を維持して行くのは大変な努力である。個がばらばらの都会的生活風潮の中で、こんな地域社会に根付いた活動がなされる美濃町地区のすばらしさを市民自ら再認識し、その維持発展に努めていきたいものである。